1035年2月


 「今日のお稽古は、ここまで」

 扇をパタリと閉じて、俊子は構えを解いた。
 娘の守子も、同じく扇を閉じ、道場の床に正座して「お稽古、ありがとうございました」と頭を下げる。

 「うん。大分、上達したわね」
 扇を綺麗に拭って片づけながら、俊子は傍らの守子に声をかけた。褒められた守子は「本当?」と嬉しそうなくすぐったそうな笑顔を見せる。
 俊子はそんな娘の様子をしばらく嬉しそうに見ていたが、ふと表情を改めて、膝をついて守子の顔を覗き込んだ。

 「守子、お話があります」

 「母様?」
 守子は母親の顔を見返して、言葉の続きを待つような様子を見せる。

 「来月、私は交神の儀に行きます」
 「…はい」
 こくりと守子が頷くと、両側で結い上げた髪が微かに揺れた。その髪を指先で撫でながら、俊子は言葉を続ける。

 「私が伝えられる事は、今月であなたに全部伝授するつもりだから、大丈夫だと思うけど…」

 月始めに来訪した時には、まだ歩くのもおぼつかない赤子だった娘は、この一月で目覚ましい成長を見せた。姿こそまだ幼いが多くの術を覚え、俊子が先祖より受け継いだ踊り屋の奥義も会得しつつある。
 守子は、興味のあるものを見つけては何でも聞いてくるので、物事の覚えが早い。緋色の瞳を輝かせてあれはなにこれはなにと聞いて来る娘の質問に一つ一つ答えながら、俊子は賑やかな訓練月を過ごしていた。子供って何にでも興味を持つのね…なんて苦笑しながらイツ花に話したら「俊子様のお小さい頃は、もっと好奇心旺盛に、元気よくあちこち走り回ってらっしゃいましたよー」と笑われた。

 「来月のあなたの指導は、淳子にお願いしているわ。是子も手伝ってくれると言ってるし…。二人とも私達と違って薙刀士だけど、私とずっと一緒に討伐に出ていて頼りにしていたから、二人の言う事を良く聞いて訓練してね」
 「はい」
 守子はまた、言葉少なにこくりと頷く。

 「…守子?」

 常に無く大人しい娘の様子を俊子は訝しむ。すると、

 「…母様、ちゃんと帰って来る?」

 小さな声。父親譲りの緋色の瞳が、心配そうに揺れていた。

 「……………」
 この子は気付いているのだ、と俊子は思った。


 今月の始め頃から俊子は体調を崩していた。
 最初は、年末年始の宮中行事への参加が続いたので、その気疲れが出たのだと思っていた。京の都では悪い疫病が流行しているとイツ花から聞いたのでそのせいもあるのだろうと。宮中で帝や貴族連中を相手にするよりも、鬼の討伐に出る方が気が楽だわなどと軽口を叩いて討伐隊を送り出して、日々の務めをこなして、娘の指導をする。だが、月の半ばになっても一向に回復しない体調を流石におかしいと思い始めた。

 寿命が近いのだ。

 俊子の一族は、朱点童子の短命の呪いを受けて二年と生きられない。
 けれど自分はまだ、一歳と五ヶ月だから、そんなはずはないと思っていた。
 俊子の母は一歳十ヶ月まで生きた。母の次の当主も、その次の当主も一歳十ヶ月で、先日亡くなった先代当主の敬子は少し寿命が来るのが早かったが、一歳八ヶ月で天寿を全うした。
 だからまだ、大丈夫なはず…そう、自分に言い聞かせようとしたが、

 寿命が近づいているのだ。

 来月には、俊子の二度目の交神の儀が控えていた。
 朱点を討つ為に、天界最高神の昼子様の力を借りる為に、一族に男子を授かる大事な交神の儀。
 そして、あの、鮮やかな緋色の髪と瞳を持つ神様に、大切な人の為に自分が幸せになる事を禁じてしまった優しい人に、もう一度会える交神の儀。


 「帰って、くる?」

 黙り込んだ俊子の衣の袖を掴んで、守子はもう一度尋ねる。
 思わず俊子は娘を強く抱きしめた。抱きしめても腕が余る位の小さな体。まだ小さな小さな大事な娘。
 「守子…リコ……ごめんね。ごめんね。一月しか、一緒に居られなくて」
 「かあさま…」
 小さな腕が俊子の首にぎゅうとしがみつく。
 「必ず戻るわ。私が居ない間、リコがどれだけ頑張ったか、教えてもらわないとね」

 「うん…私、いっぱい、がんばる…」
 しゃくりあげながら、守子は、それでも笑顔を見せる。
 「がんばるから、ちゃんと、帰ってきてね…母様」

 娘の言葉に俊子は力強く頷く。

 「うん。母様も頑張る。必ず帰ってくるからね…約束ね」

 そしてもう一度、娘を腕の中にしっかりと抱きしめた。


20130818

俊子と娘の守子。守子が来訪した最初の訓練月のお話。この翌月に俊子は二度目の交神に赴き、月の終わりに亡くなります。
守子にとって母親の俊子は「大好きな母様」であり「大好きな父様のお嫁さん」なので、ちょっと複雑な関係です。
俊子は予想よりも早く寿命が来てしまった子です。娘への奥義を伝えることは間に合ったけど、二人目の子には会えなくて。その分、天界で旦那様と二人で子育てしてるといいなと思っています。


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