二音

 「なんでもいいのか?」
 という問いに、「へ、変な事は拒否します…」とぼそぼそと返事をしたが、彼に聞こえていたのかどうか定かではない。
 「…じゃあ、うーん……」
 真剣に考え出した彼の前に正座して、返事を待つ。
 そうして、しばらく考えた後、

 「…そうだ!もっと『好き』って言ってほしいな」

 彼は顔を輝かせて、そんな事を言ってきた。
 「…え?」
 「言って!『好き』って、ほら!」
 そう言って、キラキラした目で私をじっと見ている。
 「す…………?」
 彼が言った言葉の意味を理解するのに数刻、求められている言葉の意味を理解するのに更に数刻。
 「す…すすすすす『好き』って!」
 「うん、そうそう。もっと」
 思わず声を上げた私に、無邪気な笑顔で彼は求める。
 「…す………」
 音にしてたったの二文字。今、突き出している唇を、横に引いて音を出せば完了する言葉。たったそれだけの音が出せなくて、私は途方にくれる。
 (…そういえば、あまりちゃんと「好き」と言った事がない…)
 言われた事は、多分…数え切れない位ある。
 (どうしよう…やっぱり、ちゃんと言った方がいいの…?)
 心の整理がつかないまま、言えないままに、彼の顔をじっと見る。
 「うん?」
 私の視線に気付いた彼は、何を考えたのか、固まったままの私の唇に軽く口付けしてきた。
 「……な!何を!」
 「や、唇突き出してたから…してもいいかなって」
 「違うでしょ!す、『好き』って、言おうとしてただけで…」
 「ああ、うん、そうだった、言って言って」
 もしかしたら言わなかったら、そのまま忘れていたんじゃないだろうか。
 一息ついて、私の中の気力を総動員。張り付いたように動かない唇と舌を無理やり動かす努力をして、声を、絞り出す。

 「す…す………好、き……」

 何だか自分の声じゃない、ひどく掠れたような声が出た。そう思った途端、首の後ろまで火が点いたように熱くなった。
 「ん、もっと」
 嬉しそうに笑って、首を傾げる仕草が、悔しい事に妙に可愛い。
 「…好き」
 「もっと」
 「…『もっと』って、後、何回ですか……」
 消え入るような声で尋ねると、
 「俺が満足するまで!」
 と、実に元気な返事が返って来る。その無邪気さが恨めしい。

(20120233)

悪戯

 手を握ったら、一瞬遅れて優しく握り返してきた。
 そうして、嬉しそうに座っている姿を見ると、ふと、いたずら心が動く。

 「目、閉じて?」

 私の言葉に彼は、「え」と声を上げて、青い瞳でこちらをじっと見つめるから、もう一度、
 「目…閉じてくれる?」
 満面の笑みでお願いをする。
 「え、え、えーと…はい」
 戸惑ったような返事をしながらも、彼は素直に目を閉じる。心なし頬がほんのり赤くなっているのが、可愛い。
 私はじっとその顔を観察する。
 切れ長の目の淵の睫毛は意外と長い。鼻筋はすらりとしていて、唇は薄い。全体的に細い、という印象がある。金色の髪は優男に見えなくも無いけど、小麦色の肌が全体を引き締めて精悍に見せている。
 うん。全体的に見ても、やっぱり結構、格好いい。
 しばらくそうやって見ていると、彼は目を閉じたまま何だかそわそわし始める。
 そっと薄目を開けようとするから、
 「目、まだ開けちゃダメ」
 と、言ってみたら、慌てて「はいっ!」と返事をして、ぎゅっと目を閉じた。
 …男の人にこんなこと言っちゃいけないと思うけど、やっぱり、可愛らしい。

 愛しくなって、彼の鼻の頭にそっと口付けをする。

 「わ!き、徽子さん…?」
 驚いて目を開けた彼は、耳まで真っ赤になっていた。
 その反応がまた可愛くて、私は声をあげて笑う。

(20120309)

我侭

 してほしい事なんでも言ってという言葉につられて、思わず本音が口をついて出た。

 「……『好き』って…言って欲しい…な…」

 言ってしまった後で、我侭なこと言ったと後悔する。
 けれど、ごめん忘れてという前に、
 「何、そんなことでいいの?」
 ほんとうに?と、苦笑した彼に顔を覗き込まれて、彼女は何も言えなくなった。
 彼のどんな表情も好きだけど、笑った顔が、一番好きだ。いつだって心の奥が暖かくなって、幸せな気持ちで胸が一杯になる。
 その大好きな笑顔のまま、彼は彼女の耳元に唇を寄せてそっと囁く。

 「愛してる」

 好きよりも甘い響きのその言葉に、最初、何を言われたのか分からなかった。
 硬直したままの彼女に構わず、彼は彼女の耳をそっと優しく噛んで、また囁く。
 「愛してる」
 「あ………」
 我に返って逃げ出そうとするが、体を優しく抱き寄せられて、耳元で更に囁かれる。
 「逃げないで。傍にいて。―――愛してる」
 「…う……」
 「愛してる」
 「……や…」
 「愛してる」
 囁かれる度に耳にかかる息がくすぐったいとか、肩を優しく撫でる手の感触とか、少しずつ熱を帯びてくる甘い響きとか、色々な事象が一気に溢れて、彼女は途方にくれてしまう。
 どうすればいいのか、わからない、けど。
 「私…私も…」
 「ん?」
 一息ついて、見上げた先には、初めて会った時と変わらない優しい若草色の瞳。
 「…大好き、だよ」
 彼女の精一杯の返事に、彼は花のような笑顔を見せた。

(20120222)

御守

 ふと集中力が途切れて、彼女は針を持つ手を止めた。息を一つついて顔を上げると、長い時間同じ姿勢でいたためか首と肩に鈍い痛みを感じる。外を見やるとすでに夕暮れにさしかかっていた。

 「…慣れない事を、あまり長い時間するものじゃないわね…」

 彼女は苦笑しながら左右にゆっくりと首を動かす。傍らの針山に用心深く針を刺して、作っていたものに目を落とす。
 淡い桜色の紐を組んで作ったお手製の「お守り」である。幾重にも重なった花弁のような形に組まれたそれは、元は彼女の父神から贈られた守りの力が込められた飾り紐だった。彼女が地上に降りた時から、父神の代わりに彼女をずっと守ってくれていた彼女自身のお守りだった。

 ――どうか…

 花弁の一つ一つを、彼女は、祈るように指先でなぞる。

 ――あの人が怖い夢にうなされませんように

 ――あの人が悲しい夢を見ませんように

 彼女は「お守り」にそっと口付けて、強く目を閉じる。

 「徳川…」
 交神月に出会った、太陽のような愛しい人。

 「呼んだ?」

 すぐ側で声がして、彼女は叫び声をあげて文字通り飛び上がった。
 慌てて声がした方へ振り向くと、几帳の向こうから、彼もまた目を丸くして驚いたようにこちらを見ていた。

 「いいいいいいいいつからそこに居たの!」

 耳まで真っ赤になりながら彼女はつい声を荒げる。
 「そろそろ夕餉の時間だったから、呼びに来たんだけど…淳子、昼からずっと何してたんだ?」
 不思議そうにこちらを見る彼に、

 「なんでもない!」

 思わず声を荒げて道具を片づけながら、彼女は彼から見えないようにそっと「お守り」を隠した。


 …後日、「お守り」を渡す機会を逸して、彼女は頭を悩ませる事になる。

(20130818)


登場人物の名前を地の文には出さずに「彼・彼女」としてどこまで書けるかと言う実験小説。カレカノ小話と呼んでおります。一部、台詞の中では名前が出てしまっていますが(苦笑)。
普段の一族小話よりも、糖度が高いのも特徴です。

「二音」は由比さんと斉子、「悪戯」は矢巳打さんと徽子、「我侭」は大包平さんと悦子、「御守」は徳川さんと淳子の小話でした。

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