運命に惑う

 百詠桃織は氏神として天に迎えられた直後、鉈を持って太照天昼子を襲撃した。
 母神である花心桜井こと、桜井三輪が娘の桃織が起こしたその騒ぎを知ったのは、その場にたまたま居合わせた神々の一柱が面白半分で教えに来たからだ。その神は、「怖い者知らずな女よのう」とカラカラと笑って、その騒ぎの後に桃織に下された処分内容についても、教えて去っていった。
 神の姿が見えなくなった後、三輪は顔に手を当てて、ひっそりと溜息を吐く。

 あの子はなんて馬鹿なことをしたんだ。

 三輪は桃織の行動に頭が痛くなった。あんなことをした気持ちはよくわかるが、やったことを許すわけにはいかなかった。
 何故なら、襲撃した相手が最高神である太照天昼子だからだ。
 自分の願いを叶えるために恐ろしいことも平気でやるかの神に対し、自分の怒りをぶつけたところで意味はない。心が晴れるどころか、更に怒りが増すだけだ。
 三輪が桃織を許せない一番の理由はそんなことではない。百詠一族の氏神達の天界での立場が、危うくなる可能性があったことを全く考えていない行動であったということだ。
 昼子が寛大であったからこそ、桃織だけが昼子の屋敷に立ち入ることを禁じる程度の処分で済んだのだろう。最悪の場合、赤猫お夏のように姿を変えられ、朱ノ首輪で封じられ、下界に落とされる事もあり得た。
 事の重大さがさほどわかっていないであろう娘のところへ、三輪は向かうことにした。
 会いに行けば、桃織はいまだ興奮冷めやらぬといった表情をしており、三輪の孫で、桃織の姪に当たる七枝に話しかけているところであった。
 三輪は七枝を下がらせ、桃織を傍に呼ぶと、冷え切った声で言い放った。
「あんなことをして、すっきりした?」
 目の前にいる桃織が驚いたように三輪の顔をじっと見た。
 何かしら答えようと口を開きかけて、そのまま唇を引き結んだ桃織に対し、三輪は冷たい視線を投げかける。
「してないんでしょ。もう少し考えて、行動しなさい。猪みたいに後先考えずに突進なんて、二度としないでちょうだい」
 三輪は苦しげに目を伏せた桃織にくるりと背を向けて、自分の氏神社にさっさと帰っていった。


 氏神社に戻れば、忘路がにっこり笑って待っていてくれた。
「みーさん。お帰り」
「ただいま」
 浮かない顔をしている三輪を見て、忘路は眉を顰める。
「元気ないね。どうしたの? みーさんらしくないな」
「ちょっとね・・・・・・思うことがあって、それを考えていたら、なんだか切なくなっちゃって・・・・・」
 口に出すと、悲しみに襲われて、三輪は目を伏せた。
 いつもの明るく元気な姿ではなく、なんとかつらさに耐える三輪を忘路は優しく抱きしめた。
「みーさん。俺でよければ話を聞くよ」
「ありがとう。でも、大したことではないから、一人で大丈夫だよ」
 ニコッと三輪が笑えば、忘路は「そうか」と一言言って離れた。


 一服した後、考えたいことがあるからと忘路に言って、三輪は一人、離れに籠もる。
 閉め切った部屋の中で、三輪は苦悩に包まれていた。
「予知の力を使えばよかったな」
 ぽつりと呟いてから、いいえと否定する。
 百詠家の未来を予知して、悲劇を避けるための助言を子供達にしていたとしても、百詠家のあの悲劇は回避不可能だっただろう。何故なら、多くの人間が関わっていたからだ。回避するなら、もっと早い時期から行動しなければ意味はない。

 時間をかけて味方を多く作っていれば、少なくとも最悪な事態は避けられたはず。

 氏神として分社されてきた以上、氏神としての務め以外のことは出来ない。そう思っていたから、三輪はあまり予知能力は使用しなかった。それがこんなことを引き起こすとは思わなかった。
「もっと積極的に関われば良かった・・・・・・」
 三輪の目から、涙が零れる。
 生前も回避出来ない未来に悲しみ、苦しんだ。

『全てを救うなんてことは、愚かな考え方よ。それが出来たら、私達の存在は今、ここになかったでしょう』

 何度も母から諭された言葉が脳裏に蘇る。
 助けたくて、助けたくて、自分に出来ることを精一杯したのに結果は・・・・・・救えなかった。
 泣いた。激しく泣いた。涙が尽きるまで泣いた。そして、苦々しい思いだけが心に残り続けた。
 巫女として一人前になってからは、実際に行動するのはやめて、助言だけにとどめた。せめて心だけは救われるように願いながら、言葉に心を込めて助言した。
 喜びと悲しみを繰り返し味わう人生を送った。今もまた同じことが繰り返されている。
「無理ってわかっていても、やれるだけのことをやっていたら、こんなに苦しくはなかっただろうな」
 三輪は額に手を当て、百詠家の末路を思い返す。
 当主の志誠は失意の内に命を落とした。死後、氏神として天に迎えられたが、まだ彼女の心は暗闇の中をさまよっている。
 桃織は自分を犠牲にして一族を守る道を選び取った。自分の幸せを考えることはまだない。それは先程の娘の様子を見て、痛いほどわかった。
 七枝は力のために愛する人と結ばれる未来を失ってしまった。このことを知った三輪は、申し訳なさで一杯になった。七枝は三輪だけのせいじゃないと言ってくれたが、きっかけとなったのは桜井一族の血なのだ。責任を感じた三輪は、氏神として天に昇ってきた七枝を特に気にかけている。
 狩火は百詠一族の中では幸せになった方だが、心から幸せになったとは思えない。他の一族が良き人生を歩んでいないのに自分だけ幸せになったと思い、相当心を痛めた筈だ。
 朱可は京を離れて数年後、誰にも行き先を告げずに一人で南へと旅立った。彼の母親のことを思えば、彼がその選択をしたことを誰も責めることは出来ない。
 こうして思い返すと、心の痛みが酷くなって、息を吐く。
「私、情けないわね」
 涙を拭って、自嘲する。
 過ぎ去ったことはどうにもならないわかっているというのに、どうにかならなかったのかと思ってしまう。

 とうの昔に割り切ったことなのに・・・・・・。

 また若い頃の自分に戻っている。回避不可能な未来など絶対ないと思い、嫌な運命を変えるために必死で足掻いていた頃の自分にだ。
 また涙が目から溢れてくる。
「本当にうじうじして、私はなんて愚かな人間なんだろう―――――」
「そんなことないよ。みーさんは愚かでも、情けなくもない」
 凛とした声がした方を向けば、忘路が真剣な表情で離れに入って来た。
「・・・ミチさん・・・」
 弱々しい声を発し、今にも崩れ落ちそうな三輪を忘路はしっかりと抱く。
「みーさんはいつも明るく元気で、とても魅力がある素敵な女性だよ」
 忘路は優しく三輪の頭を撫でる。
「俺の心に光りを灯してくれた女性が、愚かで情けない人間であるはずがない」
 言葉の端々から忘路の想いを感じて、三輪は涙をとめることが出来なくなった。
「ミチさん!」
 三輪は強く抱き返した。
「落ち着いてからでいい。話す気になったら俺に教えて、この涙の訳を」
 忘路はしゃくり上げて泣く三輪の背中をただ撫でた。

 ・・・有難う・・・ミチさん。

 忘路の温もりが、三輪の中から湧き起こった悲しさも苦しさも消し去っていくのを感じた。
 三輪は忘路こそが、運命がもたらした苦悩を乗り越えてゆく力を与えてくれる人だと思った。

 貴方に逢い、一緒になれて良かった。貴方に逢えなければ、きっと立ち向かうことをしないで流されるままでいたに違いない。

 もう運命に惑い、己の無力さに嘆いたあの頃のようにはならないだろう。
 常に傍にいてくれる人がいる限り、三輪はいつも笑顔でいられるだろう。


咲也様宅・桜井家より、拙宅・百詠家にお招きした三輪さんと忘路のお話です。二人の娘である桃織が「氏神昇天後、昼子を襲撃した」と言う話を聞いて、咲也さんが三輪さんサイドのお話を書いて下さいました。
桃織は、悲願達成時に討伐隊長だった子で、その後、一族を守ることだけを自分の幸せと思って生き、死後、氏神として上がった子です。百詠家氏神の中でも一番昼子を憎んでいて、氏神昇天直後に昼子の館に襲撃をかけました。…そして、この桃織が一番、百詠家の昼子に近い(似ている)娘でもあります。桃織の物語はいずれ。
三輪さん自身も、悲願達成後は人として生きた方です。桜井家の巫女として「未来を知る力」を持っていた為に悩んで、迷って、それでも一生懸命生きていた方で。
忘路は、そんな三輪さんの明るさと聡明さに救われた子です。考えすぎる性格と、人と必要以上に距離を取ってしまう癖があるので、中々前に進めない困った子でありますが(苦笑)。三輪さんに対しては、出来るだけ自分から関わりたい、守りたい、愛してる気持ちを伝えたいと思っているので、ちゃんと三輪さんを抱きとめてあげられて良かったと思いました。
二人の愛娘がこんな物騒な娘になってしまって、申し訳ありません…(汗)。

素敵なお話をありがとうございました!
咲也様のサイトはこちら→碧空明々なり!

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